鹿児島県令大山綱良の最期について西南戦争後

Writer: admin Type: arte Date: 2019-01-11 00:00
鹿児島県令大山綱良の最期について西南戦争後に長崎で斬首となっていますが、彼がそこまでの重罪となったのはなぜでしょうか。例えば実際に戦争に参加し、最後の最後で投降した別府九郎(晋介の兄)や野村忍介には除族の上懲役10年(情状酌量で5年、更には特赦により4年で出獄)という判決で、かなりの差異があります。特に野村忍介の地位は蜂起決定時から幹部待遇であり、戦中西郷や桐野との軋轢があったにせよ、政府軍を苦しめるという部分においては西郷軍でもかなり力を振るい、政府軍を苦しめました。対して、大山県令は官金を西郷軍に提供した位で、たしかに県令としてあるまじき行為ではあるけれども、当時の鹿児島、特に私学校党の台頭ぶりを考えればまず逆らえるはずがありませんし、どちらかと言えば政府と私学校、そして旧主である久光という三者の間で苦慮していたようでもあり、野村のように実戦において政府軍にかなりの損害を与えた者の罪科と比べると、大山の斬首という罪が相応とは言えないような強い違和感を覚えます。司馬遼太郎の「飛ぶが如く」等で論じられている大山綱良の性格をベースとして考えるに、久光から西郷軍に加担する内意があったことを庇う為、弁明等をせず黙って身代わりとなることを選んだのかとも想像しますが、これはあくまで創造作品ですし、果たして実際の所はどうだったのか、また政府側の裁判による斬首とした判決の意図は何だったのか、ご存知の方があれば教えていただけると助かります。共感した0###「西南の役薩軍口供書」・・・吉川弘文館・・8ページ「朝憲ヲ紊乱セン事ヲ企テ、兵器ヲ弄シ衆ヲ聚メ以テ官兵二抵抗スル従二シテ、首ト同シ書策ヲ司ドル者」徐族ノ上 大山綱良 斬 (朱筆)伺之通 明治十年八月十日 征討総督二品親王有栖川○仁斬であって斬罪では有りません。○は幟の右が火判決文の後に付録として同時に処刑された二〇名と供に詳しく理由(口供)が書いてあります。明治政府の現役の県令です。ナイス0
###ありがとうございます。大山と同時に処刑された者も多くいたのですね。ベストアンサーとして選び、終えようかとも思ったのですが、もしよければ付録にある詳しい理由も、ざっくりとでいいのでお教え願えないでしょうか。
###追記まで含めて様々な情報ありがとうございました。ご紹介いただいた本なども調べてみたいと思います。###>大山県令は官金を西郷軍に提供した位いやいや、これは重罪でしょう。戦争や反乱するのには金が必要です。反乱軍に軍資金を流して微罪なハズないです。オウム真理教の一連のサリン事件で「サリンを製造しただけで、直接手を下していないのに・・・」みたいなロジックと同じです。刑法でいうところの共謀共同正犯。仕方ないでしょうね。ナイス0

 

TAG