地獄とはどんな所ですか?

Writer: admin Type: arte Date: 2019-01-08 00:00
地獄とはどんな所ですか?行ってみたいけれども、だけれどもちょっと恐いのよね。共感した0###仏教は生まれ変わるというのが基本の考え方です。生まれ変わるのですから、天国や地獄が現実とかけ離れた所に在ったのでは辻褄が合いません。天国も地獄も現実の世界で見ることができます。例えば、金持ちの幸せな家庭に生まれる子供と、貧乏で親から虐待されるような家に生まれる子供、この違いが天国と地獄です。他には平和な国に生まれる子供と戦争が絶えないような国に生まれる子供、この違いも天国と地獄です。 仏教の地獄絵図は比喩です。地獄絵図には火で焼かれたり身体を切り刻まれたり、水責めにされたりしている姿が描かれていますが、爆弾で吹き飛ばされたり、タバコの火を押し付けられたりすることと、なんら変わりはないと思いませんか。鬼は怒り怨み嫉妬に駆られた人間の姿を比喩的に描いたものです。子供を虐待する親、戦争で多くの人を焼き殺し傷ける人間が鬼なのです。 誰かに強く恨まれたまま死んでいけば、恨みを抱いて死んだ人が生まれ変わって鬼となり、自分の人生の前に立ちはだかり害をなします。これを悪縁と言います。例えば恨まれていた人が、恨みを抱いたまま死んだ人の子供に生まれたら、親が鬼となり子どもは毎日が地獄です。現実の生活においても、恨みや嫉妬は人間の心を鬼に変えます。鬼とは他人の不幸を願うようになった人間のことです。鬼の住む場所は地獄なので自分の生活が地獄へと変化していきます。したがって「許す」というのは相手のためではなく自分のためなのです。 人間は生きている内に様々な罪を犯しながら生きています。その中で最も重い罪は恨まれることですが、恨み続けることも相手の不幸を願うようになるので罪となります。天国に生まれるための善行は感謝されることですが、感謝することも善行になります。「ありがとう」と言われることは最も大きな善行ですが、「ありがとうと」と言うことも相手を幸せな気持にすることができるので善行になります。悪行と善行のどちらが多いかまたはどちらが重いかで天国か地獄、又はその中間になるかが決まるようです。 仏教は天国や地獄は環境だけに在るのではなく、自分の心の中に有ると説いています。例えば、地獄のような環境に住んで居る人にとっては毎日が地獄かもしれませんが、そこに住んで居る人たちを救うために活動している人の心は地獄ではないはずです。また、そこから抜け出すために希望を持って努力している人の心も地獄ではないはずです。地獄の「地」とは、地面より低いものは無いという意味で、最低のことです。「獄」とは逃げることができない状態のことです。最低の苦しい状態から、どうあがいても抜け出すことができずに、絶望している心の中が地獄なのです。 仏教は人間の心の状態を「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」の六つに分類しています。これを六道と言います。「地獄」は絶望している状態ですが、誰かの助けを借りて希望を持てれば抜け出すことができます。このとき助けてくれた人を良縁と言い、芥川龍之介の童話「蜘蛛の糸」に通じます。「餓鬼」とは尽きることのない欲望に苦しめられていることです。「畜生」とは理性よりも本能が勝っていることで苦しむことです。これらの煩悩を克服するために、人は祈ったり、座禅を組んだり、滝に打たれたりと、様々な努力をしてきました。「修羅」とは常に他人との戦いを強いられることで苦しむことです。受験と言う戦いが終わっても、社会に出れば常に競争を強いられます。これも競争を楽しめるようになれば苦しむことは無くなります。「人」とは平穏な心の状態のことです。「天」とは有頂天になると言うように、夢がかなって天にも昇るような喜びの状態のことです。人間の心は六道のどれかに固定されているわけではなく、日々移り変わっています。この移り変わることを「六道輪廻」と言います。 仏教は現在の幸不幸の原因は「因果応報」にあると説いています。因果応報とは、現在または未来に起きる結果には、必ず過去又は現在にその原因となるものを自らが創っているという意味です。それは今世に天国に生まれていようが、地獄に生まれていようが、現在どういう生き方をするかによって、来世どちらに生まれるかが決まるということです。このように生まれ変わるときに、生れる環境が常に変わることを「輪廻転生」と言います。因果応報は来世だけでなく今世においても、天国と地獄を逆転させることもできるということを示しています。ナイス0
###この質問は投票によってベストアンサーに選ばれました!###ジョニーは戦場に行った。という映画が地獄ですナイス0

 

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